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それでも

なんとかできるだけ楽しく生きる

文脈を読ませないでくれ

バックグラウンドが違う人達と話すのが怖い。つまり全世界の人が対象となる。本当に怖い。特に日本人が怖い。私も日本語話者で、相手も日本語話者。もうこうなったら終わり。そしてこれが日常のほとんど。

 

なまじ言葉が通じてしまうのがよくない。

単語の意味がわかるから、厳格に定義を求めずに話は進行していく。「わかった」と思っていてもそれはいつだって微妙な差異をそこに含んで、次第にその乖離は大きくなっていく。言葉がわからなければ、ちゃんと慎重にすすめられるのに。

「いい天気」と私が言う。いい天気、といったとき多くの人は晴れを想像するだろうけれど、私は雨の日にそんなことを言ったりする。雨好きだし、道路が濡れて夜の光を反射するのを見るのが好きだし、屋根に雨が当たる音を聴いているのも好きだ。1日がそれで終わる。

大体の人は、不思議な顔をする。「いい天気」という言葉が自然と晴れと結びついているから。*1

上のものは極端な例ではあるけれど、こういうことは日常でも起こりうる、というか起こって当たり前だ。

だからどうということもないし、日常会話レベルで深く気にする必要はあまりないだろうけれど、重要な話をするときほど認識のすり合わせと、定義の共有はしていかなければならないよなあ、などと思っている。

 

本当は重要な事なんて話さず、誤解があってもいい小さな日常の感想の言い合いなどしていたいのだけれど。

 

*1:定義が立場によって変わるので天気予報では「いい天気・悪い天気」といった表現を避けているらしい。